20160815
(P.200)戦後すぐ、アサヒグラフの編集長になった飯沢匡先生は、日本がアメリカから独立した日に、それまで、机の引き出しにかくしてあった、広島の原爆の写真を、アサヒグラフに、のせた。これが、世界に最初に紹介された、原爆の恐ろしさだった。日本人も、それまで、見たことのない、原爆の、写真だった。
(P.253)カメラマンは、朝日新聞の秋元啓一さんで、のちにベトナム戦争の報道写真を、沢山、撮った人だけど、この頃は、呑気に、トットの写真なんかを撮りに来てくれていた。
Circulator(サーキュレーター)
「循環器」「循環させるもの」という意味
2001年8月1日発売 4枚目のアルバム
淵田美津雄とジェイコブ・ディシェイザー
自身は晩年重度のパーキンソン病に。
日本フリーメソジスト教団名古屋守山キリスト教会は、ヤコブ・ディシェイザー宣教師により1959年に開設。
1937年盧溝橋事件から日中戦争に発展。
1940年幻の東京オリンピック
20160719地下鉄にて
あの人と私の距離
思い出す過去、記憶。
私とあなたのあいうえお順
夢見がちな空
耳にあけてあげたピアス
耳にあいているピアス。傷跡
透明な息
夢を見た。
遠吠えは遠く
友だちは遠く
生まれ故郷で
これは連想ゲーム
連続性の
どこへ向かってるのか分からなくなって、どこかへ行きたくて、私を生かしてあげたくて、
夢の中にいた。ずっとずっと
それは水槽の中。金魚鉢の中。
青い水、青い魚
美しい女
美しいものにしか興味がない。目がない。目が無いんだ。義眼をつけたらほらどこへでも行けるよ。
P.217、P.249
「アイザックは英語名。イサクがなまってそうなったの。」「イサクは、旧約聖書の創世記に出てくる人なの。英語ならアイザックで、ヘブライ語ならイツハク。アラビア語だってあるのよ、イスハーク。」
「ある寺院で、バター彫刻を見たの。バター彫刻って、素晴らしいの。本当に精巧で、美しいの。そして誰が作ったのか分からない。何故ならそれは、仏様にさしあげるものだからよ。
私はそこでも泣いた。涙があとからあとから溢れて来て、止まらなかった。そのときにアイザックに会ったの。アイザックは私の涙を見た。見ざるをえなかったのでしょう。だって私は立っていることすら出来なかった。座り込んで、ずっと泣いていたの。そしたらアイザックが、こう言ったの
『あなたはこの彫刻を見るためにやって来たんですね』
その言葉は半分間違っていたし、半分正しかった。私はこの彫刻を見るためにチベットに来たんじゃない。でも、来たのよ。私はここに来た。
分かる? 歩。
私がここに来なかったら、この彫刻を見ることはなかったし、私の涙はなかったのよ。」
姉はまるで、今目の前にその彫刻があるみたいに、指を伸ばした。何かに触れようとしていた。そうしながら、でも、姉はまっすぐ立っていた。まっすぐ揺れることなく、まっすぐに。
「私が、私を連れてきたのよ。今まで私が信じてきたものは、私がいたから信じたの。
分かる? 歩
私の中に、それはあるの。『神様』という言葉は乱暴だし、言い当ててない。でも私の中に、それはいるのよ。私が、私である限り。」