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交換日記

ももちゃん

おひっこし201511

日記2015
20151105

客観視、第三者目線
できてる?できてるかなあ
観察して観察して観察してしまう
なるべく正解を選びたいし。

私は肩書きも社会貢献も趣味もどうでもいいなあ。そんなものってきっと何かしてればついてくるもの

絵を描く人を見た。他人の頭の中の構造が気になる。こういうのが気になりなりすぎると、人と頭の中メスで開けたいとか思うのかな。危険思想。

バースデイ聴いてる。リップクリーム塗りたいよ。

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20151109

嫌い
飽きた
もういいや
もういやだ
縁を切ろう
気持ち悪い
好きじゃない
会いたくない
どうでもいい
お幸せに

などの感情が芽生えたので、もうやめれそう。
あーよかった。正常な人間で。

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20151111

肌荒れの原因
たばこ もう吸ってない
おさけ
ストレス
仕事
交際
洗顔
季節
髪の毛
食べ物

うーーん
早くはっきりしちゃいな

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つまり「眺める」とは、強いて定義するなら、特定の対象に焦点を定めずに、周囲に存在する自分の行動にすぐには関係のないさまざまなもの(でもいつか関係するかもしれないもの)についての情報を集めること、ということになるでしょう。
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20151129

沢山の人の中から私だけを見つけてくれる人 私だけの隣にいてくれる人 よ
さわやま

だから私はまだ、この家にいるしかない。涙が出そうだ
美しく、恐ろしいもの
FOUJITAを観た。
私はいつも混乱してて、誰が好きなのか、誰に会いたいのか、誰に認められたいのか

脳味噌の中を誰か見てあげて。可哀想な色をしていたら優しくして

あっ、なみだだ

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20151129

視覚は物との距離を測る
触覚は なんだったかな、身体そのもの?とかなんとか

12月かあ

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いろいろな色の細かい斑点を並べて描くことで、離れて見たときに目の中でそれが混ざって見えるように描いた。印象派とはまさに「目の、目による、目のための絵画」であったわけです。
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まるで、自分という視点を超越して、置かれた状況全体を俯瞰的に見下ろしているかのようです。フロイトは、ユーモアの秘密は視点の移動にあると言います。現実が、自分を苦しめようとしている。けれどもそんな状況をものともせず、超越した視点に立って「世の中そんなものさ」とユーモアは笑い飛ばすのです。ユーモアは、苦痛を強制されるような状況にあっても自己を守るための一つの防衛方法だとフロイトは言います。
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「誰が作っても同じ」であることが必要であり、それは「交換可能な労働力」を意味します。

「見えないからできること」ではなく「見えないからできないこと」に注目が集まるようになってしまったのです。

「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」

障害学の言葉でいえば、「個人モデル」から「社会モデル」の転換が起こったのです。 「足が不自由である」ことが障害なのではなく、「足が不自由だからひとりで旅行にいけない」ことや「足が不自由なために望んだ職を得られず、経済的に余裕がない」ことが障害なのです。
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ナタリーは自分を理性的な人間だと考えています。それで、慣れない異国暮らしの淋しさを、親切な先輩外国人ともいうべき年上の男性と寝ることで紛らわすようないいかげんな真似は、理性的な人間のするべきことではないと判断したのでした。まあ、一度試したあとでですが。