読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

交換日記

ももちゃん

20170112煙草について

自分の周りの煙草を吸っている人たちのことが好きだ。
去年初めてもしくは再会して仲良くなった人たち、mもmもsもyもoもkもaもみんな煙草を吸っている。もちろんあの大人の方々も。いいなあと思う。好きだ。
煙草を吸える店も好きだ。そこにいる人も。

空腹時に吸うと美味しい。
体に合わないことはやめようね
大人の方々に見つかったらおこられそうだ。

20170111タクシーについて

日記2017

なぜ大人はタクシーに乗るのか。朝、駅まで歩くときにたまに見かけるスーツ姿の若い会社員。たぶんあのマンションに住んでいて、信号を渡ってちょうど反対側で通りすがるタクシーをぶっきら棒にいつも待っている。
前はふたりでいたけど最近はひとりで。タバコなんか吸いながらタクシーを探してる。すぐそこに地下鉄もバス停もあるのに、ずいぶん贅沢ね。

なぜ大人はわたしをタクシーに乗せるのか。わたしは本当はタクシーなんか乗りたくない。そんな身分ではないし。定期券内で移動したいし交通費も使いたくない。自転車に乗りたいし、タクシーに乗るくらいなら夜の道を歩きたい。誰もいない街で、こんなところまで来てしまったと歩いて実感したい。
手を振り終わってから、どんな顔しているの。どうしても我に帰るんだ。帰らないでひとりにしないで?

20170110夢について

日記2017

わたしは夢で補完する。
わたしは夢で心配する。
わたしは夢で先回りする。
気になったことは夢に出てくる。勝手なストーリー作ってつじつまあわせ。でも話しかけてきといて、返事したら無視ってなになのよ。
心配事は夢に出てくる。夢の中で起こってしまって、起きてから夢だったとハッとする。遅刻とか、会いたくない人会えない人に会ったり。
いつも、いつも、

デヴィッド・ボウイの命日だ。
わたしのスター、愛している。

20170109走ることについて

日記2017

走ることには終わりがない。走ろうと思えば倒れるまで走れるだろう走ればいいだろう。それはこわいことだが、だからこそ終わりを自ら決める練習であり、毎日少しずつ積み重ねることの練習である。わたしに欠如したもの。してこなかったことできなかったこと。できると達成感があり嬉しいこと。でもちょっと飽きてきた。でも休みたいときは休めばいいし、いつでも身一つで始められるのがいいところ。

成人の日。わたくしは遂に初マラソンした。5キロだけど。体力よりも、協調性や体育会系テンションの欠如に問題があるように感じた。色んな、人が、沢山、いてさ。疲れて帰り道も帰ってからもよく寝た。

ただ、天気の良い外を走るのは気持ちがいい。眺めが良くて、それだけでいい。

20170108雨について

日記2017

今日は久しぶりに雨。冷たい冬の雨。外にほぼ出てないけど。雨の日はいつにも増して出かけるのが億劫になる。自転車にも乗れないし。濡れると冷たいし。眼鏡にしずくをつけたくないし。

家に1日いると、たいして何もしてないのにずっと食べていてどうかと思う。実家こえー たまった朝ドラを2つ見て、新しい大河ドラマを見て、コーヒーを2杯飲んだ。大相撲初場所初日。

雨の日は、なるべく明るい服を着ようとは心がけている。あとは少し靴に悩むね。レインブーツって必要なのかなあ。買えて、履ける日のわたしは、きっともっと大人なわたしだ。

ケンジタキギャラリー・シュウゴアーツ

引用

彫刻とは何か。古代、火山噴火で火砕流に埋もれたローマの都市ポンペイ。人間は気化し、実体と空間が逆転した空洞となって発掘された。かつて写真で目にした戸谷さんは、あらかじめ設定したイメージに向かって素材を加工する「彫刻」の伝統に対し、内外の境目を引っかき回す表現で彫刻を問うてきた。「彫刻を定義できるとは思わない。ますます分からなくなる」と前置きした上でこう話す。「本質的には、世界とはどういうものか、世界観をつくることではないか」

P.39

引用

西麻布の店で、その男の人を初めて見たとき、この人は他人だと思った。この男の人は自分とは別の人間だということが、まるで体臭のように伝わってきた。よく磨かれた半透明のガラスの板がわたしたちの間に立て掛けられているようだった。たとえばトシと一緒にいるときにはそういうことは思わない。もちろんわたしとトシは違う人間だ。だが、別に抱き合ったりエッチをしていたりするわけでもないのに、トシと一緒にいるだけで、自分のからだとトシのからだの境界が曖昧になることがある。たとえばわたしはテレビを見ていて、トシも同じテレビ画面を見ている。同じ箇所で二人は笑う。テレビを見て笑っているのか、一緒に笑うためにテレビを見ているのかわからなくなってくることもある。またたとえばわたしが雑誌を読んでトシはコミックスを見ている。そういうとき、違うものを見ているのに何だか溶け合っているような感じがする。トシの部屋が広くないせいかも知れないが、トシの部屋にいるとき、自分とトシのからだや心の境界がわからなくなる。そういうときには、時間的な境界も溶けていくような気がする。過去と現在と未来が混じり合って、自分が一億年も前からこうやってトシと一緒にテレビを見たり雑誌を見たりしていて、これからも永遠にテレビを見たり雑誌を見たりするのだろうと思ってしまう。それはぞっとする感覚だ。